花春のあゆみ
会津を愛し、日本中で愛された歴史。
創業享保三年(1718年)。
「会津のよさは酒の良さ」を謳い、自然の恵み多き会津の米と清らかな水でお酒を造って約300年。
「香りやさしく、口当たりやわらか、きれいな味わい、のどごしの良さ」が特徴で、
飲めば身体のすみずみにまで心地よく響き、
「飲むほどに」、「酔うほどに」のどかな気分に誘われる酒を、
お客様のため、地域のため、頑固に真面目に造り続けてまいります。
今も残る、二本松市岩代町にある小浜城跡、大内氏城趾
【戦国時代】
群雄割拠するこの時代、塩松地方(現代の二本松市の一部)に、大内氏という一族が居りました。
・永禄11年(1568年) 大内氏が主家である石橋氏を追放し下剋上を果たしました。
・天正13年(1585年) 家督を継ぎ、下剋上を続ける大内定綱が、伊達政宗の侵攻をうけ、宮森城、小浜城を放棄。蘆名を頼り会津へ逃れました。
・天正17年(1589年) 磐梯山裾野で摺上原の戦いが起き、大内定綱と弟の片平親綱は、打倒蘆名を掲げる伊達政宗陣営へ参陣。政宗が勝利し蘆名氏は滅びました。
その後大内定綱と片平親綱は、豊臣秀吉の奥州仕置きにより会津を去る政宗に付き従い仙台藩士となりました。この時、会津に残った定綱の弟の子孫が、弊社の創業者 宮森久右衛門でございます。
青空に勇壮な天守閣の赤瓦が映える
【江戸時代】
徳川幕府八代将軍吉宗公の時代、奥州岩代の国会津では藩主松平正容の治世の下、現代に続く地場産業が発展しつつありました。
・享保3年(1718年) 大内氏の子孫で弊社の創業者の宮森久右衛門は、鶴ヶ城外堀東門天寧寺口に酒造業を興し、屋号を「井筒屋」、酒銘を「天正宗」と致しました。
・天明8年(1788年) 会津藩家老 田中玄宰による藩政改革で殖産興業が奨励され、会津の伝統産業の礎が築かれました。酒の醸造方法も改良がなされて、より良質の酒が造られると、会津が酒どころとして知られていきました。
・慶応4年(1868年) 鳥羽伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発、京都守護職を務めた会津藩主 松平容保を討たんと新政府軍が押し寄せ、会津領内も戦場となりました。城下は炎に包まれ、井筒屋も焼失してしまいました。
人々が敗戦と戦禍に打ちひしがれる中、五代目井筒屋久右衛門はいち早く蔵を再建し酒造に着手、人々の心に「花のような明るさと、春のような和やかさ」を取り戻すべく、酒銘を、漢詩「花開酒国春」にちなみ「花春」と改めました。
鶴ヶ城を望む隊士の像と会津藩旗
【現代】
設備の機械化、省エネルギー化、環境への配慮、自動制御化など、時代とともに進化を続けて参りました。
・昭和18年(1943年) 戦時統制令による企業の統廃合により、若松酒造株式会社花春工場となりました。
・昭和28年(1953年) 若松酒造株式会社解散と同時に花春酒造株式会社設立。後に、本社所在地が花春町と名付けられます。
・平成7年(1995年) 会津若松市神指町に神指蔵竣工。
・平成17年(2005年) 花春町から本社と工場を移転。現在は上杉景勝が城を築城せんとした神指町で、豊かな自然に囲まれて酒造りを行っています。
・平成23年(2011年) 東日本大震災発生。工場、商品の一部損害に加え、風評被害に悩まされます。それでも、多くの方にご声援をいただきました。被災地の復興に際し「花春」の原点に立ち返り、少しでもお力添えが出来ればと考えております。
・平成28年(2016年) 9月29日、新会社への事業譲渡により、新しい花春酒造に生まれ変わりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2018年、花春酒造は創業より300周年を迎えます。
花春町の旧本社敷地内より発掘された江戸時代以前の石臼
花春のこだわり
「飲むほどに、酔うほどに」心が安らぐ。
1718年(享保3年)に創業以来、
「香りやさしく、口当たりやわらかく、きれいな味わい、のどごしの良さ」を求め、地元会津産米を自社精米し、会津に根ざす日本酒を蔵人一丸となり醸しています。
会社概要
「会津のよさは酒の良さ」
四方を山々に囲まれた会津地方は、一斉に花々の開く春、蒸し暑い夏、紅葉の美しい秋、雪深く寒さ厳しい冬の四季が、里から山へ、山から里へと足早に移ろい、変化にとんだ自然から豊かな恵みが与えられています。
商品一覧
瓶に詰めているのは、想いです。
丹精込めて技を尽くして、
美味いと褒められるよう、
楽しくて笑顔が咲くよう、
大事に育てたお酒です。
幾万本お届けしてきた
伝統の味、
花春の味です。